カンパリみかん

絵画と音楽とホメオパシーと放課後BBSHをつらつらと。基本は酔いどれ日記。

カラオケ自給自足



雪と家の仕事とDLMで引きこもっておりますところ、

ぼちぼち気分転換をしようかと課題曲じゃない曲を思いっきり歌います。

 

歌うときは三絃がいいです。

地歌古曲は三絃で作曲した後に筝の手付がされている作品が多いので、

筝だと歌いにくいことがあります。

うちの会は三絃でも筝でも歌うことになっていますが、

他では筝を弾くときには歌わないこともあるみたい。

 

うちの会が三絃でも筝でも歌うことにしているのは、

「筝では歌えません、って教えるとき言えへんやん」

という師匠のお考えから。

 

「船の夢」と「磯の春」の三絃を楽しみました。
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(新しいスマホになってから時々写真がひっくり返るのはなぜだ・・・)

 

古曲を習うようになってからカラオケにいかなくなったな・・・。

普段の練習がカラオケの自給自足状態だから。

 

古曲を習い始めたばかりの頃、

「弾き歌い」を珍しがられたことがあります。

 

弟に、

「よう弾きながら歌えるな〜」

と。

 

洋楽だってギターで歌う人とかいっぱいいるやん、と思ったけど、

手と歌が全く違うこともしょっちゅうだから、そこが不思議なのかもね。

 

 

バランスの問題。

アトピー歴=年齢なので結構いろいろ試しています。

 

最初は普通にステロイドを塗るところから始まったんだけれども、

 

「それって、治ってなくね?」

 

と小学校2年生で気づいてしまってからは、

自分で選択できる大人になり、治療法を選択できる機会を虎視眈々と狙っていました。

 

で、

物質としての肉体以外のところも私の部分である、ということに気づいたので今までもっぱらエネルギー系に目が向いていましたが、

まあ、物質の肉体もメンテしとかないとな、って最近思えるようになりました。

 

いろんなもののテンプレートは肉体レベルから遥か先にあって、

そのテンプレートを通して物質化するようになっているので、

そのテンプレートとテンプレートを通ってくる創造の光の流れを妨げるものをあるべき姿にすればいいやん、って思っていました。

 

物質の肉体以外のレベルがあるって考え方って、私には福音だったからね。

 

物質レベルでどうにもできないなら、

他のレベルで試してみることができるんだよ?

アプローチ方法がいろいろあるわけだ。

 

だから、

ホメオパシーとかエネルギーヒーリングとか、

どう考えても世間一般の常識から見れば怪しいものをかじっている。

 

当たり前のことなのだけれども、

物質としての肉体の部分をサポートするものもいるわな、と投入してみる。

 

アトピーの人は、免疫が弱いのではない。

免疫システムのバランスが悪い。

よく聞く話で、

アトピーの人は皮膚に症状が出ている限りは癌にならない。

ホメオパシーの治癒の法則に則って言えば、

重要ではない臓器=皮膚、

一番外側の臓器=皮膚

に影響が出ているのは病が軽いってこと。

 

これを病とは関係のない抑圧的な薬で抑えると、

症状はどんどん内側の重要な器官に影響を及ぼすようになる。

 

実際、私は内臓がやたら強い。

でも機能のバランスは悪いと思う。

 

だから、数ある乳酸菌の中でも、

免疫系のバランスを取ることに特化しているこのサプリを試してみることにした。


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これを試してみることにした決め手は、

生きたままだってこと。

菌の死骸も大事なのだけれども、まずは生きているのがは届くかどうかよ。

 

あとは、開発協力に懐かしの家森先生が載っていたこと。

まだ先生が一般社会で全く有名でなかった時、

お世話になっている漢方薬局が講演に先生をお願いしたりしていたのね。

(先生の笑っているようでその奥では鋭い眼光って京大の人特有のそれだよな。)

 

販売元はお惣菜で有名なフジッコさん。

www.shop-fujicco.com

まずは3ヶ月、試してみます。

 

 

雪マークの三連休

仕事がいろいろあるおかげで純粋なお休みは滅多にないです。

年末年始も、うまくいって二連休。

雅楽のお仕事は正月2日には始動しますから。

それでも業界ではゆっくりな方なんじゃない?

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これは一昨年の新年祈祷の時の写真。ただ好きに吹いているだけなのにやたら疲れるという不思議。

 

休みがないのが不満なのではないです。

基本、どの仕事も好きですから。

 

単に何も仕事がない状態が3日も続くのがレアだな〜、と面白がっている感じです。

 

家の仕事を仰せつかっているのでそれを片付けて、

あとはDLM=宿題をやるかな。

書きあがってはいるものを英語に直す作業が残っている。

そうそう、リードの調整もしないと。

 

懐かしの

MVNO生活3年目にして端末初号機・Zenfone2 Laserから乗り換えましたのがZenfone4カスタマイズモデル。

 

初号機の頃はZenfoneに対応しているケースが少な買ったので純正品を使っていました。

これは本体後ろのカバーと同じ形のものが一体化した手帳型でしたので装着後はとてもスマートで気に入っていました。

 

新しい端末にするとき、やはりカバーは手帳型を希望していて、

リアル店舗で見つけるのはとうの昔に諦め、最初からAmazonで対応商品を検索。

結果。

私の心をわしづかみにしたのがこちら↓

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Amazon CAPTCHA

クーピーペンシルリアル世代には、もうこれしかないでしょ・・・。

 

そこへ加えて私はクーピーが好きすぎて60色をお誕生日に買ってもらったくらいだからね。

 

写真の下にあるのはサクラとロフトが共同開発した小さいクーピー。

これは従来品よりも消しゴムで消えやすくなっています。

 

スマホケースのレビューでは、

斜めに立てる仕様になっていないことが指摘されていましたが、

そういう使い方をしてこなかったから私は気になりません。

カードを収納できるポッケが2つ、

広いポッケが一つ付いています。

 

かなりしっかりした作りに感じられ、背の部分に開けられた小さなハトメもカバーと合わせた塗装がされていました・・・スレる機会が多い使い方なのでとっくに剥がれてしまいましたが、こういう細かいところが好感持てます。

 

普段から絵を描くのでスマホを取り出す私を見て周囲の人は、

 

「こいつ、ここでいきなり絵を描き出す!?」

 

ってなるらしいです。

 

あるいはふざけている、とか思われる。

 

 

マフラーと風呂敷

今週のお題「受験」

 

自分が大学受験現役生だった時のことです。

 

「ここは大丈夫だろう」

と言われていた学校から次々と不合格通知をもらう中で、

本命の国公立2次試験に臨みました。

 

センター試験では得意教科だった古典(特に漢文)で失敗をしてしまい、

センター試験後の各種予備校のセンターリサーチでは軒並みD判定。

担任からも絶望的だと言われたものの、

かろうじて試験は受けさせてもらえるらしい、ということで試験会場へ行きました。

 

当時、私の受けた学部学科は定員の10倍を超えたところで成績順に受験資格を与えない方針でしたから、あの成績で受けることができたところでラッキーだと思いました。

 

試験当日、

試験官の方が会場に入っていらっしゃいました。

 

そのかたは50歳くらいのやや長めの髪に髭をたくわえた細面の男性で、

ツイード風のブレザーをお召しでした。

 

しかし、

私の目を引いたのはそこではありませんでした。

 

まず、

首に巻かれた手編み風の赤いマフラー。

 

そして、

試験問題と解答用紙を包んだであろう紺色の風呂敷。

 

今までのキラキラした私大にはない雰囲気です。

 

「あの人はいつマフラーを外すのだろう、そして風呂敷・・・」

 

私の意識は完全に赤いマフラーの行方に持っていかれました、そして試験の最後までそのマフラーは外されることはありませんでした。

 

マフラーと風呂敷によって緊張した精神がニュートラル状態になり、

数ヶ月後、

そのマフラーの主が母校の名物教授と知ることとなりました。

 

夏でもマフラーを着用するマフラー愛好会に所属しているとかなんとか。

 

風呂敷に関しては学科の教授が絵に描いたような唐草模様のものを使っていたので、

隠れた我が校の伝統なのかな、と推測しています。

 

数年前まで家庭教師=受験生のサポートする側の仕事をしていたこともあって、

この時期は特別な思いがあります。

 

まず願わくば、

皆が第一希望の学校に受かってほしい。

もちろんそれが一番いい。

 

でも現実はそうでないことも多い。

 

私はたまたま第一希望の学校に行くことができたから、

第一志望の学校に行けない思いを乗り越えてはいない。

 

ただ、指導者の側から多くの生徒さんを見ていて確信するのは、

 

本当に、その人に必要な場所に行くことになっている、ということ。

 

あるいは、

そこを必要な場所にする力があなたにはある、ということ。

  

旬の

しらうお、でございます。

しろうお、と混同されることが多いようですが、

あちらはハゼの仲間。

こちらは鮎とかに近いみたいね。

 

しろうおは水揚げされても生きているけど、

しらうおは網からあげるとすぐに死んでしまって足が速い。

 

だから、お刺身は水揚げ地付近での贅沢な一品。

漁の期間が定められていて、この時期だけの味覚。

 

焼き海苔で巻いてお醤油でいただくのが好き。

あとは唐揚げ。
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好き好きだけれども、

卵が少ないうちの方が苦味が少なくて好きです。

 

「雪薄し白魚しろき事一寸」

 

これは芭蕉の句。

 

そうね、

明日から雪が降りそう。

どんど

今日は、どんど焼の日なんですね。

 

昔は左義長とか言ってたみたい。

今でもそういうところあるかな。

 

日本中世史の授業で初めて「左義長」ってのを耳にした。

 

私の住んでいる集落は開発された時期こそ江戸中〜後期だけれども、

人が住み始めたのは明治の直前。

 

左義長らしいことは大晦日にやっちゃっている。

 

大晦日は、

町内の班がシフトを組んで神社でのお焚き上げ的なものの火の番をすることになっている。

 

これはその年内に死者が出た家はメンバーから外れるけれども、

それ以外は絶対に行かなきゃいけない。

 

だから、

我が家は基本的に大晦日は家で過ごす。

旅行、とか一切ない。

葬式があった年でも大晦日に家をあける感覚になれなくて、いつものごとく家にいた。

 

いまだに、神社の行事と自治会の有り様がないまぜになっているのって、

古い土地みたいに感じるけど、

実はそうでもないんだよね、だって明治くらいからの自治体だもの。

 

最近は弟がその火の番に出てくれている。

 

夜通し火を焚くので、

毎年シフトがずれていくようになっている。

きつい時だと夜中の2時から、とか。

すごい夜中の時は番をしている時間が短く設定されているけどね。

 

夜中の当番が当たっていたある年末、

手持ち無沙汰を慰めるための酒を飲みつつ火の番をしていると、

派手な格好の若者がふらりと神域に入ってきた。

 

一緒に火にあたり、酒を酌み交わしつつ、

大晦日のあの不思議な雰囲気を味わっていた。

彼も大晦日の仕事を終えて帰宅するところだったらしい。

 

その帰り際にその若者、

 

「大変ですね、お寺も」

 

と。

 

弟、突っ込めなかったそうです・・・。

 

うちの地域流のどんどのお話でした。