カンパリみかん

絵画と音楽とホメオパシーと放課後BBSHをつらつらと。基本は酔いどれ日記。

平和な画像

ポテトサラダに、

アスパラ、

チーズを春巻きの皮にのっけて「サンタフェ」(ステーキスパイスと書いてある・・・)を振り、

まきまきしてオリーブオイルで焼きました。
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健康そうな青ネギをみつけたので納豆とネギの小口切りを、

小麦粉+片栗粉のタネに投入してごま油で焼きます。

ごま油は九鬼さんの。

納豆は小杉食品さんの。

ネギも地元産ではからずも地産地消になってる。
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納豆に火が通り過ぎないようにさっさと焼きましょ。

 

一応、近畿地方に代々住んでいるので、

祖母の世代までは納豆を食べなかったそうな。

だから、父も納豆は嫌い。

そのせいで私もかなり大きくなるまで納豆を食べたことがありませんでした。

こんなに美味しいのに・・・。

 

母は「納豆」のことを知っていて、

昔から、

「納豆いうたら小杉食品やろ!」

と言っていました。

 

小杉食品さん、

最近、納豆業界での素晴らしい賞をいただかれたそうですよ。

 

楽しそうな商品がたくさんありまして、

その中でも色んなお豆が入った納豆が気になります。

限定販売らしく未だ出会ったことがありません。

弟の子供が家に来る時はひきわり納豆を用意しますよ。

 

小杉食品さんのHPです・・・こういう攻めの姿勢、素敵です。

www.miyakonattou.com


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美味しゅうございました。

 

変態炸裂

源九郎稲荷さんを探しているときに迷い込んだ大和郡山城址

 

石垣が立派だから源九郎さんにお参りするときに見て来たら、とおすすめされていました。

 

最近、石垣の調査が終わって「上」まで登ることができるようになった

その調査の結果、秀長時代には金箔の瓦が使われていたらしいことがわかった

 

これは行かなきゃ・・・

それに、

今のところ、

しつこいくらいに画題が「石」ですから。

 

F30号くらいなら近所の石垣でなんとかなりました。

F50号になるとデフォルメしても使える石垣が限られて来ます。

 

今後はF100号を目指しているので(先生が・・・)ちょいと大きめの石の壁を取材中な自分にはもってこい。

 

駐車場的なものを見いだせないまま推定・郡山高校の学生たちを横目に源九郎さんへ向かった後は一瞬、あきらめかけた郡山城ですが、

源九郎さんの社務所でうかがったお話にすっかり盛り上がった我々は、

郡山城石垣を観に行くことにしました。
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 天守部分以外の遺構もところどころに残されていて、

突然、石垣があったり・・・

下は信号待ち中に撮影の遺構。
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 大和郡山は100万石。

一方、うちとこはせいぜい10万石の城下町ですが、

同じ匂いがするぜ!!

 

しかし、

さすがの石垣。

見応えがあるわあ。
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 適当に組んでいそうでそうでもないという。

 

有名な「さかさ地蔵」。

奈良地方には石垣に使うための石材が少なかったので、

大和郡山城の築城の際には「どんな石でもええからもってこい!」的にお地蔵さんまで供出させられたらしい・・・どんなお城でも多少は再利用の石材を使っていると思いますが、まさかのお地蔵さん。

卒塔婆やお賽銭(?)が雰囲気を盛り上げていますよ。
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向かって右側の卒塔婆の横の石がお地蔵さん。

お体が地面に向かう状態で突っ込まれています。

他よりも大きめの空洞には大量のお賽銭が・・・。

 

いいものを見せてもらいました。

お札をおさめに参ります

去年のゴールデンウィークに初めてお参りしてからもう何回目?

 

その去年の1回目お参りでお神札をいただいてきたので今が交換の時期。

GWに入ると道が混むし、

それを逃すとちょっと先になりそうなので急遽、お参りしてきました。

 

はい、

天河大弁財天社さんです。
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ナビが新しくなったせいか、すごく変な道を走らされました。

金峯山寺の参道を無理矢理通り、

くねくね山道を走る走る。

もっとスムーズに行けるはずなんだけどな・・・。 

 

前回のお参りに同行した母は初めての参拝ですっかりここが好きになり、

今回も一緒に出かけました。

思うところあってご祈祷もお願いしてきましたよ。

 

お次はこちら・・・

源九郎稲荷神社のホームページ | 源義経&源九郎狐ゆかりの「源九郎稲荷神社」の公式ホームページです

 

大和郡山源九郎稲荷神社さんへ。

 

お稲荷さんにまつわる不思議な符牒がありまして、

ある方からお参りするように薦められました。

 

ここ5年ほど、

地元では有名なお稲荷さんをお祀りする神社で奏楽させてもらっています。

楽人さんの高齢化にともなう交代(楽人さん側からのお申し出)に伴い、今に至ります。

そのお話を頂く前日に、

これまた急に、箏曲三絃の社中演奏会でのワタクシ的目玉曲が『水の変態』から『狐会』に変わったのです。

本当に急な展開で、残された時間も少ない。

でも先生としては「これ!」という感じで『狐会』を弾くことになりました。

いざ取り組んでみると、

曲のノリはよくて好きなのですが、

歌詞の内容につながりがなく全体がつかめません。

 

そこで曲の来歴を調べてみると、

その曲は個人でお稲荷さんをお祀りしているお家でのお祭で演奏された曲だと分かりました。

歌詞は狐にまつわる伝説(それ以外もありましたが)をくっつけたもののようでした。

 

当時は所属していた団体を私の身勝手でひどい形で辞めていた頃で、

もうご神前で笙を吹くことはないだろう、と思っていたときでしたので、

この流れは非常に興味深く感じられました。

 

一昨年以来、お世話になっている方から、

そういうところで吹くのなら、と薦めていただいたのが伏見稲荷とこちらの源九郎神社さんです。

 

車をなんとか置いておく場所をみつけて、参道を歩きます。
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 中の写真は撮り忘れました・・・

 

このしだれ桜が美しかったです。

中村勘九郎さんによって植樹されたそうですよ。

歌舞伎の人気演目「義経千本桜」に源九郎狐さんが出てくるので、

歌舞伎関係者さんやそのファンの方から崇敬されているそうですよ。
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 ボランティアの方によって手入れされているお花がたくさんありました。

私の大好きな椿「日光」や絞りの一重、「百合椿」も咲いていました。

 

元々は、羽柴秀長豊臣秀吉の弟)が自身の守り神がないことを大和郡山のお寺の方に相談なさったときに、

吉野にお祀りされている源九郎稲荷さんを大和郡山に勧請するように薦められたことから、

この地にあるそうです。

その後、歌舞伎の流行と、

勿論、このお社にお祀りされている神様の御神徳を慕って多くの方がお参りされるようになりました。

そういう経緯ですので、この神社は氏子さんがいらっしゃいません。

崇敬者の方々のお力で維持されているのです。

加えて、宮司さんも今のところいらっしゃらないそうなので、

このことはおそろしく大変なことだと思います。

きっとそれは私の想像を遥かに越えている・・・

 

土鈴とお守りを頂いて来ましたよ。
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立ち位置

英語を小さいうちから学ぶのも結構なことだと思う。

 

特に、

フォニクス式を知っていると単語をおぼえるのがとても楽。

受験英語の実用性ったらない、というのも実感です。

ちゃんと必要なコミュニケーションはできる。

 

********

先の10月にアメリが合衆国の大学に編入して、

自分が結構な愛国者だったと思い知りました。

 

仕事や趣味、またその他で関わっている世界は所謂、the 日本なのですが、

日本ぽいものが好きだからそれらを始めたわけではなく、

自分が好きなものを選んだらこうなってしまっただけです。

 

いつの間にかそれらが私のアイデンテティーを支えてくれていたらしく、

海外でしばらく過ごすうちに自然に発生してきたのが、

 

「どうしたら日本を良くすることができるか」

 

という壮大な問いかけでした・・・自分のことで精一杯なのにね。

 

外国にいて特に差別的な扱いを受けたわけではありません。

むしろ皆友好的で親切でした。

 

でもやはり自分はどうしようもなく日本人なのだと思いました(「日本人」の定義はさておき)。

 

 学校の授業は全て英語。

同級生や先生とのやりとりも英語です。

 

留学、ホームステイ経験どころか、

英会話スクールに通ったこともないし、

海外で行ったことがあるのは家族旅行のサイパン、香港、タイ。

学生時代は紙の上の英語で十分な時代でしたし、

大学の専攻も英語よりかは中国語の方が役に立ちそうな分野。

 

今のスクールでは受験英語だけを武器にコミュニケーションをとっています。

 

もっと同級生がストレスが少なく話せるくらいに私が聞き取れたらいいな、とは思うしそのために勉強を少ししてみてはいますが、卑屈になることは全くありません。

 

それは自分が日本人であることにある種の誇りをもっているからかもしれない、と思っています。

自分のアイデンテティーを大事に扱うのと同時に相手のそれも尊重する。

 

そこにはプライドとかエゴとか防衛は一切ありません。

 

不思議なことにそれらが入り込む余地がない。

 

コミュニケーションツールとしての英語を学ぶのはいつでもできると思います。

 

 それよりも、

自分の立ち位置を明確にする方が先なのではないかと。

 

英語は便利な道具だけれども、

それを使うのは日本人の精神。

 

だから、

拙い英語でも伝わるんだと思います。

または、

理解しあおうという方向に向かうんです。

 

戦後70年、

所謂、日本的なものは学校現場で教えられる機会が少なかったように思います。

一般家庭でも、そう。

かくいう私も、

初めて「六段」を聞いたときには、どう解釈していいのかわかりませんでした。

 

確かに、

いかにもな日本の伝統文化の世界では難しい・・・かなり難しいことがたくさんあります。

そして、

それに打ち拉がれてその世界を去った人を何人もみてきました。

私は未だにその傷が癒えないし、

そういう部分に直面するとなんとも言えない感覚に陥ります。

 

でも、

結局、それらの経験も私のアイデンテティーを支えている。

 

物事は明暗の両面を持っています。

それがむしろ健康的なこの次元での在り方。

 

それをふまえた上で、

幼いころからの外国語の教育と同時にやることあるよね?

と思います。

 

どっちかだけではいけないのです。

 

両方、持たなきゃ。

眼圧

12歳のときからコンタクトレンズを使っています。

すごく目が悪いの。

 

最近、細かいメモリを見るのがつらくなってきたのは老眼?

それとも近眼が進んだ?

 

どっちにしても、

メルスプランに入っているのでぼちぼちレンズを交換してもらいにいかないともったいない。
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で、

昨晩に急な決意をうちたてて出かけて来ました。

 

最初のコンタクトレンズを作ったときから私のコンタクト人生はほぼ同じ代理店とともにあります。

その代理店は近所にないのでなかなか足がむかなかったので、

2年くらい、最寄りの「○ンタクトマン」に乗り換えてみましたが、

はっきり言って、最悪でした。

 

ヒトの目は様々な形があって、

私の場合は眼球のカーブが緩くて黒目部分が大きい。

 

私はハードレンズ愛好者なので、

このカーブとレンズが合わないのはほんとうに辛いです。

 

そこんところの微妙な調節が「コ○タクトマン」の技師(本当に技師だったのかな?)にはできていなかった。

検査の時点で全く合わない検査用のレンズをつけられて、検査どころではなくなったし。

 

どうもおかしいと思って、元の代理店に行ってレンズの不調を訴えたら、

技師さんがそのレンズをゴミ箱の上に持っていきつつ、

 

「ま〜、これからはぴったりのをご用意しますから、もういいじゃないですか〜」

 

と笑顔でその「○ンタクトマン」でつくったレンズを捨てました・・・勿論、既に新しい、私の目にぴったりのレンズが到着してからのことです。

 

私はもともと眼圧が高めです。

体調が悪いときは異常レベルまでの数値を叩き出していました。

 

その後、

ホメオパシーのセッションで最類似レメディーを見つけてもらった後は、

かなり眼圧がさがりました・・・それでも高めなんですけど。

最類似レメディー前は両目ともに24くらい。

今は15くらいです。

あと、視力もよくなりました。

 

今回の検診の結果、

近視は進んでいない。

見えにくくなったのはレンズが左右逆になっていたから!

 

私は利き目が右で、

右の方が視力がよくないのでレンズが入れ替わるとぐっと見えにくくなるんですね。

 

今後は加齢とともに、

今のの眼圧で視神経を傷つけないかを確認していく必要がある、とその代理店に付属の眼科先生は説明してくださいました。

 

同じ数値の眼圧でも、

視神経に影響するかどうかはその人による=感受性次第のようです。

 

神経の厚みのデータを計測することができる機械がある医院で、

その点の説明もしてくださいました。

結果、

私はあまり視神経が図太いわけではない、と。

でも今のところ、必要なところの神経が痛んでいる様子はない。

 

とりあえず、一安心です。

 

 

 

道分け

地植えにして10年くらい経ってようやく花をつけてくれるようになった「日光(じっこう)」です。
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 去年初めて2つ、花が咲いて、

今年は10以上咲いてくれていたみたい。

海外逃亡していたから気づきませんでした。

唐子咲きの中輪。

いい椿です。

いずれは白い「月光(がっこう)」も植えたいと思っています。

 

こちらは椿好きになったきっかけの「太郎冠者」・・・だったと思う。
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完全な侘び芯ではないけど、まあよし。

 

黒椿も満開。

 

まだ欲しいのがたくさんありますよ。

 

胡蝶侘助(いっかい枯らしちゃった)

紅乙女

絞りのきれいな八重系

雲龍型の枝の侘び芯系

 

「つばき」は

「道分き=みちわき」に通じる音。

 

私が屋号に使う理由です。

 

アートプロジェクトのあったスクーリング後の初めての合奏練習会で、

「そういや、私が篳篥を吹きはじめて何年?」

って話題になった。

 

最初の頃に習った曲の記録によると、

もう今年で9年目!

単発の講習に参加したのはその1、2年前。

その後、何年か月1回の全日講習(参加者2〜3人に対して先生1、という贅沢)に参加して、

毎月2回、吹きっぱなしの合奏練習をして今に至る。

 

月日の経つのがおそろしくはやい・・・

 

それでも1時間半くらい通しで吹けるようになったのはここ2年くらい。

 

たいして上手くなってないな〜。

 

そろそろ道分き=方向転換の時期やな。

でてきた

そういえばこんなの作ったな〜・・・
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先生が教室の片隅に忘れて放置していた私の作品を発見してくださいました。

 

コラージュをやりかけて〜・・・

石に!

 

変な色です。

 

自分が使わない色をあえて使う、

このころからそれを意識的にやろうとしていました。

 

模索中、な感じです。