カンパリみかん

絵画と音楽とホメオパシーとBBSH(放課後)をつらつらと。基本は酔いどれ日記。

アヒ

マインドがささくれ立ったまま明日の奏楽の準備です。

 

どんだけささくれ立っているかというと、

 

お客さんの優柔不断さに寄り添えない

 

衣装のアイロンがけが面倒(これは身を守るために必須なのですが)

 

練習していて間違う自分にいらだつ

 

自分の都合で、

自分の内面で起きていることを他人にぶつけるのは大人げないので自制しようと必死ですよ。

 

スクール(BBSH)に行っていると、

感情的に不安定になりがちです。

 

でも、

それを表面にモロだしにするか、

「そういうものだ」

と一呼吸おいて自分の内にとどめておくかはそのヒトの美学によるよな〜、と思う。

 

だってさ、

スクールに行っていなきゃこんな感情のアップダウンなんてなかなか理解できないから。

それをいきなりぶつけられるのはたまったもんじゃない。

 

身内が私より先に入学していて、

そのときは本当にいろいろ「飛んで」来た。

 

そのときは困惑。

 

で、

私が1年あとに入学して、

「それでああいう表現に仕方をするのか」とは分かったけど、

迷惑であることにはかわりなくて。

 

そこをマネジメントするのも大事なお勉強じゃないの?

 

と今では思う。

 

「私はこんなに傷ついているの!」

 

って「トラウマ」という錦の御旗を振りかざされてはたまったもんじゃない。

 

そもそも

トラウマにフォーカスしすぎるのって、

思念が過去に飛びすぎてるように感じる。

 

もう、終わったことやんか。

 

それに、

そのとき傷ついていたのはあなただけじゃないよ?

あなたの代償行為で傷ついていたヒトもいるんだよ?

って。

そしてそれを飲み込んでたんだけどね、って。

 

感覚だけの話ながら、

私はトラウマとかインナーチャイルドとか、

そういうのにフォーカスしすぎるのは虫が好かん。

 

あんたの感受性を通しての感覚だよね?

 

それは事実とは別の次元の話だよね?

 

そう、思う。

 

私が関心があるのは、

感受性を通しての感覚よりも、

その感受性そのもの・・・ただ、感受性を通して表現されたものでしか感受性を知ることはできないから表現されるものは受けとるようにつとめます。

 

わけがわからん話になったところで、

昨夜のごはんのタコとキノコのアヒージョ。

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今日のお弁当はこの残りで作ったペンネでした。