邯鄲
作曲者:不明
筝手付け:八重崎検校
三絃:二上がり→三下がり
筝:中空調子
国土安全長久と、栄華も弥増しに、猶喜びは勝り草の、菊の盃とりどりに、いざ呑もうよ。
廻れや盃の流れは菊水の、流に引かれて疾く過ぐれば手先ず遮る菊衣の、花の袂を翻して、差すも引くも光なれや。
盃の蔭の廻る空ぞ久しき。我が宿の我が宿の、菊の白露今日ごとに、幾代積もりて淵となりぬる。
世も尽きじ世も尽きじ、薬の水も泉なれや、汲めども汲めども弥増しに出る菊水を、飲めば甘露も斯くやらんと、心も晴れやかに飛び立つばかり、有明の夜昼ともなき楽しみは、栄華にも栄耀にも実にこの上やあるべき。
いつ迄か栄華の春は常磐にて、猶幾久し有明の、月人男の舞なれや、雲の羽袖を重ねつつ、喜びの歌を歌う夜もすがら、月はまた出て明らくなりて、夜かと思えば昼になり、昼かと思えば、月また清けし。
春び花咲き紅葉色濃く、夏かと思えば雪積もりて、四季折々は目の前にて、万木千草一時に花咲けり、面白や面白や。
なお何時までも生の松、栄華の程も尽きじ尽きじ、春夏秋冬、眺めも同じ月も雪も、花も紅葉も栄ゆく末こそ久しけれ。
来年の6月の演奏会で弾きます。
まだ習いかけで全然歌えません。
おめでたい歌詞で、
勢いもある謡ものなので好きな感じです。
練習も楽しいです。
お能の「邯鄲」に取材した曲です。
お話の内容は、
人生に悩んだ蜀の青年・蘆生が羊飛山へ教えを乞いにでかける道中で邯鄲というところで雨宿りをします。
そこで不思議な枕を借り、
その枕を使って昼寝をすると夢をみました。
夢のなかで蘆生は楚の王になり50年の栄華を体験します。
しかしそれは粟がたきあがるくらいの一瞬のこと=一炊の夢であったことを悟ったのでした。
地歌では栄耀栄華の部分を中心にとりあげており、
国家の繁栄が夢とは逆に永遠に続くことを言祝いだ内容に置き換えています。
勝草=菊。
中国河南省白河の支流の菊水では崖の上にある菊の露が革に落ちて甘露となり、
その水を飲むと長寿を得るという伝説があります。
平安朝の上巳の節句に行われる曲水の宴では、
甘露の菊水が上流から流れると想定して上流から盃を流し、
自分の前を盃が通過するまでに歌を詠むことが出来なければ盃をあけなければなりません。
前半ではそうした曲水の宴と菊水の長寿を歌い上げ、栄耀栄華を象徴して、
後半ではその栄華が末永く続くことを願う、という内容。
昼寝しただけで悟れるなら、
その枕、ええやん・・・というのが師匠と私の率直な感想です。