カンパリみかん

絵画と音楽とホメオパシーとBBSH(放課後)をつらつらと。基本は酔いどれ日記。

BB休学中のこと

あ、今もまだ休学中。

復学するのは来年。

アメリカの学校なので新学期は10月からなのだが、

今年の10月は随分まえから仕事があって、来年にした。

これは私のパターンでもある。

気づいたからには意識して変えなきゃね。

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休学中に何をしていたかという話。

人間同士の関係性のなかから自分をみつめる、そういう作業が多い学校なのに、

入学したころの私は半引きこもり生活から脱出したばかり。

そうなると、宿題のネタに困る困る。

だから当時は

「まだこの学校は私には時期尚早だったかもしれない」

と、うっすら感じていた。

学校がWithdrowする直前、

まだこれからも学校が存続すると思っていたころ、

今のメインの職場を紹介された。

面接の時は、「そんなに(学校の予定で)休まれたら困る」って感じだったけれども、

当時の店長と社長のお計らいでなんとか採用してもらって、九月を迎える・・・日本の職場で一週間くらい連続して休むことが通った瞬間だった。

そして学校閉鎖。

当時、定期的にセッションを受けていた元・ホメオパスは、

「それはご縁がなかったともいえるんじゃない?」

と言った。

それは、そうかもしれない。

一方で学校の先輩は、

「でも、BBに行きたいという、戻りたいという意図は保っていた方が良い」

と言った。

どっちも正論。

では、どっちが自分を高揚させるか、

前向きにさせるか。

勿論、後者。

その意図を保ちつつ、

ちょうどBBと同時進行で関心があったホメオパシーを勉強しはじめた。

こっちは日本、しかも京都でのスクールなので実現の可能性が高かった。

ホメオパシーの勉強も面白かったけれども、

おまけのように、

くだんの「元・ホメオパス」と離れ、

ちゃんとしたホメオパシーのセッションを受け、

BBに行くなら必須の英語を継続し(ホメオパシーの文献はほとんどが英語)、

行動範囲が広がった。

その間に、同じくBBの先生だった人のワークショップに出て、

直伝靈氣(レイキじゃないよ)の後期課程まで受けたりもしたな。

自分の炎症が爆発したときや、

言葉を発することのできない犬子の不調のときに、

レメディーと併行して使ったりしている・・・もともと元気な犬なのでそういうこともほとんどないから、普段はちょっと気になるところに靈氣を当てるくらいだけど。

ホメオパシースクールの課程を終えて半年くらいして、

珍しく空いた日曜日に、BBの卒業生が主催するお話会&Healing体験会に参加した。

BBSHJの先輩からのおさそいだったが、当初そこには仕事があって参加できそうになかった。

それが、

どういうわけか参加できる運びとなり、

継続的なセッションを受ける流れに・・・それを決めたのは間違いのない私なのだ。

何と無く=無意識のパーセンテージが少ない状態で事態が展開したのはBBらしいと思う。

継続したセッションは、

「あなたの実現させたい望みはなんですか」

そのような質問から始まったと思う。

実現させたいこと=実現できていない望み。

その入り口は私の望みを妨げる私の思い込みやらなんやらにアクセスする近道。

勿論、私の望みは

「BBに復学したい」

だった。

セッションの展開によっては、この望みが「BBに行けなくても自分は大丈夫」に変化する可能性はあった。

今の状況を受け容れることのできる自分になる、という選択肢にマルをする自分がいたかもしれなかった。

結局、

そうはならなかった。

セッションの期間中(今も一応、そう)、

それはいろいろなことがあった。

人間の目線で言えば、良いことも悪いことも。

でも、少なくとも停滞はしていなかった。

エネルギーは拡張の方向へ向かっていた。

「拡張が極まったな」

と感じた頃、

復学の準備がすべて整った。

いつか、を決めるだけ。

今年でも良かった。

でも、来年にした。

前向きな理由で。

また次の拡張へむけた収縮がはじまったとも言えるかもしれないが、

次の拡張はもっと、ずっと、大きい。

それについては確信がある。

あくまでも過程にいるにすぎないのだが、

自分が「あの場所」にいられないことが自分にとってとても不自然だった。

「あの場所」にいない、向かっていない自分は仮の自分。

仮の姿で、一時しのぎのことをしているだけ。

そう感じられてならなかった。

それが、決まったとたん、

なんという開放感。

分かりやすく言えば、安眠できる。

今の状態にくつろいでいられる。

「あの場所」にいられないことで自分に多くのことを禁じていたとも思う。

私はワガママなのだと思う。

自分が「こう」と思ったら岩をも貫く意志で押し通す。

確信めいたものがあるから。