カンパリみかん

絵画と音楽とホメオパシーと放課後BBSHをつらつらと。基本は酔いどれ日記。

回転速度

「このごろ変化の速度が速いと思わない?」

私の周囲の、所謂、スピ系の人たちの間でよく聞かれる言葉である。

例えば、

ちょっとネガティブな状態になって、

ネガティブな言葉を発したとする・・・私がよく運転中にやるやつ「こんのぉ・・・タコ!!」ってさ。

そうすると、その直後には自分が箪笥の角に足をぶつけてる。

現実化のスピードが速くなっているとも言えるのかな。

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私は、

2009年の秋にBBSHJという、アメリカに本校のある学校に入学した。

表看板は「あなたも4年でヒーラーに!」である。

・・・あくまでも表看板は。

先に妹が入学していて、

宿題のためにセッションをしていた。

医療系を目指して、医療倫理や医療行為の難しさを考えるようになっていた当時、

その姿勢、スタンスにどうも違和感があって、

その正体を見極めてやる、という気持ちで学校見学(ファミリーデー)に行った。

実際に生徒に混じって授業の一部に参加したり、

授業ですることを体験したりさせてもらうのだが、

ま~、突然踊り出す、

笑い出す、泣き出すわで、

頭の上にはてなマークを飛ばしまくっていたな。

でも、とても濃密でやさしい空間。

それまで生来の皮膚症状と、原因不明の倦怠感で気力も体力もなかった自分が、

「ここに来る。」

と決め、ものすごい勢いで動き始めた。

学費を稼ぐためにあり得ないくらいのフル回転で働き、

スケジュールを調整し、

学校に参加する。

宿題をするために人と関わり、

ときに痛い思いをしつつ(これは自分のせい)、

前にどんどん進んでいく。

そうやって1年を終えると、

いつの間にか皮膚症状は落ち着き、

倦怠感はなくなり、

体力がないと思っていたのは実は正反対で、

異常なほどに体力を備えたからだをもらっていたことに気づいた。

顔つきも変わって、

親戚も含め、それまでの私を知る人から認識されないこともしばしば。

それくらいの強烈な場所だった。

しかし、Year2(二年生)が始まる直前に突然の閉鎖。

原因は先生たちのビザの問題だったと言われている。

観光ビザで押し通していたところを、

日本政府?外務省?税関?から警告を受けていたのを、スクールの弁護士がムシしていて、

いざ、新学期の準備で前乗りした当時の校長はその場で拘束。

厳しい尋問を受け、スクール開催困難。

そういう流れだったらしい。

何れにしても、我々は「スイッチ」を押されたまま放置された。

学校流にいうと、プロセスかな。

その後、

ほとんどの同級生たちはその学校の卒業生の主催するスクールに参加していた。

一人は本校に行った。

私はどちらにも行かず、ホメオパシースクールに入った。

ホメオパシーの勉強は面白かった。

音楽の仕事も地道ながらも途切れず続けることができていたし、

絵の方でも、(自分の経歴からすれば)わかりやすい形での結果も出ている。

でも、

私の一部が(いや、大部分か)、

またあそこに行かなければならない。

といつも叫んでいた。

行けない状況は「本当の」状態ではない、と。

「意図は持っていたほうがいい」

そういう先輩の言葉を頭の片隅に置きつつ、

でも半分あきらめたようなこころもちで模索しているうちに、

ようやく「GO」サインが出た。

なんとも不可思議なタイミングで、

不可思議なまでの自然さで。

これが

「変化の速度」

「現実化のスピード」か。

とにかく、暴言(特に運転中)は危ないので自主規制します。