カンパリみかん

絵画と音楽とホメオパシーと放課後BBSHをつらつらと。基本は酔いどれ日記。

まつり

地元の市民展に出すようになってから5年。

1回のお休みをはさんで、今回で4つの作品を出して来た。

最初のは何がなんだかわからないままにF20に静物を・・・今から思うと小さいなあ。

一年休んで、次からはテーマを決めてF30。

そこから今回まで同じモチーフを使う。

去年からはF50。

普段からじっと座っていることが苦手な自分にとって、

大作は身体的に楽。

面積が大きいから、下地作りは左官やさんのよう。

素材によってはちょっと筋肉痛になるくらい。

時々は離れて全体を眺め、また近づいて描いて・・・そうやって全身を使えるのがとても楽。

逆に普段のF6,F8くらいのデッサンやスケッチはじっとしていなければならない分、肩が凝る。

でも、そういうデッサンの地道な練習が大作のときの自由さにつながる。

普段の基礎練習から離れて、大作に取り組むことは自分にとっては「祭」のようなもの。

2つ目の作品のときにそう思った。

大作=公募展=祭。

今年の「祭」(=市民展)の準備は去年からはじめたつもりだった。

去年と同じくF50。

その作品が違う公募展に使われることになって、でも祭であることには変わりなく、

市民展もださないとね、ということになりさらにもうひとつF50を作りはじめて、祭期間は延長した。

結局、半年でF50を2つ作った。

で、今日が市民展の搬入日。

仕上がった作品はさっさと提出しちゃいたいので今日はうれしい、というかほっとした。

気が抜けた座り方をする犬子↑。

審査は明日。

明日は宅地建物取引主任者免許の更新講習で缶詰だよ。

実はあんまり気に入っていない作品。

大急ぎで描いたからあんまり計算できていないの。

構図も色も去年のや先の県展のと大差ないからね。

先生の影響かもしれないけれども、私にとってのartの意味のひとつは、

「なにか新しいことをすること」なんだ。

新しいものがすべて良いわけではないけれども、

「進化」と「新しいこと」はときに同じ方向をむいているときがある。

人間は根っこの部分では常に、否応無しに、進化を志向する存在だと思うから。