ギョーカイ
今日の演奏会の会場の中庭。
奥の方にお茶席のようなものがみえる。
巨大な錦鯉が泳ぎ、
都会の真ん中なのにどこからか鷺が舞い降りる。
今日は出番が一番最後・・・今日も、か。
好きな『吾妻獅子』が演目にあった。
さーて、手事
というところで、演奏者の3の糸が切れた模様・・・しかも取り繕いようの無い高切れ。
替え三味線を手渡されたが、またこんどはその三味線の2の絃が切れたらしい(私は3だと思ったけど)。
でも、数十秒後には何事もなかったかのように演奏が続けられていた。
あの状況であそこまでど真ん中の調絃ができるって、すごいなあ。
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先日の絵画教室でのこと。
そこにいたのは先生と、市民展での加点ありの受賞歴を持つ人と、
加点なしの受賞歴のある自分。
(うちの市民展は上位3人にはそれぞれ、3、2、1の点数がつき、3点の市長賞を一回以上と、他の賞の合計点6点で招待作家になれみちが開かれる仕組み。)
芸大を卒業していない私たちがこの業界でアイデンテティーを主張する方法のひとつに、
どこかの公募展の会員になること、があるのだそう。
そういうところの会員になることと、芸大を卒業したことは同列のように扱われる、という話。
だから、どこかの公募展をめざしたら?って話。
へ~。
いままで「××会の~です」とか「△△会の・・・さんですよ」とか紹介されたり、
画歴に書いてあったりすると、
それを「どこのギルド出身かって言っているんだな」と勝手に脳内変換してた。
それどころか、若干「ダサ・・・」とか思ってたよ。
箏曲三絃とか華道、茶道の業界では「このお稽古をしていいですよ」という意味合いで免状をもらい、
職格がみとめられました、という意味合いで免許状をもらう。
そういうものにあたるのがどっかの公募展の会員になること、らしい。
箏曲三絃はたまたま自分の先生の好みと自分の好みがあっていて、
その先生の所属する団体の中心的な存在の先生(うちは家元制じゃないからこういう表現になる)を尊敬していたし好きだったから、
今の会にいる。
今のところ、そういう気持ちで会員になりたいって思う会はないんだよね。
てか、そこまで絵にいれこんでいないもん。
そりゃあ、作っているときは楽しいし、その前後の作業も好き。
でも、これだけ!とはならないのよ。
あくまでも私の症状のひとつなんだよなぁ。
しかし、業界によっての認識がここまで違うと、
かえって面白い。