巡り巡って
随分前のことになるが、
近世には桑名地方でいくつかの地誌が編まれ、
編者も、藩おかかえ儒学者、藩士で国学者、藩士、僧侶、と様々な立場の人たちで、
藩撰、私撰と思惑もそれぞれで比較がしやすかった。
一番興味深い人物は、『桑府名勝誌』と『久波奈名所図会』の著者である魯縞庵義道一圓という僧侶。
地誌以外にも多岐にわたる分野での著作がある。
おそらく地誌類よりも今では知名度が高いと思う。
『千羽鶴折形』は49種類の鶴の折り方に狂歌と浮世絵を付した書物で、
正式に世間に流通した書物である。
出版元は当時のヒットメーカー・吉野屋為八だった・・・と思う。
挿絵も吉野家為八による名所図会シリーズの挿絵を手がけた人物(かその親か子)によるものだった・・・と思う。
要するに、当時の出版界における超豪華スタッフによる書物。
義道が都で大サロンを主催していた木村蒹葭堂の邸宅を訪れ、
また木村蒹葭堂が長島藩領であった現在の川越町付近に流されたときにも、義道は彼の蟄居先に出向いている。
その義道が考案した千羽鶴の折り方が、近年桑名の公共施設で教授されていることは、
史学の分野から離れてから知った。
言い添えれば、
「桑名の御台所祭」は、桑名に8ヶ月くらい滞在した千姫をフィユーチャーしたイベント、と理解している。
ここで千姫・・・千羽鶴・・・千羽鶴お炊き上げファイヤーセレモニー・・・の流れがあるのだが、
家康の孫で秀頼の元・正室、
大坂の役ののち本多忠勝の子息に再嫁し、桑名へ、
という流れと、18世紀から19世紀にかけて生きた義道との関連はほぼ、ない。
千姫と千羽鶴がなんだかむりくり結びつけられ、
義道がおいてけぼりな感じに違和感はある。
昨日、職場にいつもは伊勢型紙の作品をお持ち頂く方が、
証明書を入れたいから、とご来店された。
お話をうかがっていると・・・
http://www.chunichi.co.jp/article/mie/20150110/CK2015011002000022.html
こういうことだった。
義道の49種以外にも、ご自分で折り方を考案されたりしておられるらしい。
かつて義道の著作を業界のはしっこのはしっこで取り扱っていた者が、
義道の考案したものに現在進行形で携わる方の活動証明の結実を額装することになろうとは、
巡り巡ってなにがおきるか分からないものである。
義道の千羽鶴関係の史料もあらたに発見されたという。
『素雲鶴』というもの。
これは『久波奈名所図会』の最後の方の、義道のその他著作としてあげられていたものだと思う。
贅沢をいうなら、元・歴史畑の者としては、
もっと義道自身も含めた、当時の近世桑名における情報ネットワークについての研究が進んでほしいな、と思う。
桑名の千羽鶴のHP↓