カンパリみかん

絵画と音楽とホメオパシーと放課後BBSHをつらつらと。基本は酔いどれ日記。

まつり

さて、恒例朔日。

雨模様ながら、土曜日とあって予定回数満了・・・うれしい。

奏楽のためにおじゃましているのだから、きっちり吹かせてもらいたいのよ。

曲目はおおかた忘れた。

途中で時間のあるときに双調の春鶯囀入破を二回くらい吹いた。

篳篥も吹くようになって、ますます自分の笙が気になる。

篳篥の心地の良いタイミングで手移りできているか、とか。

笙の先生が

「笙が基本の手移りで吹くことの出来る場面は少ない。そして満足のいく手移りはほとんどない」

と仰っていたことがある。

このごろその言葉を思い出すことが多い。

篳篥を吹けば、その笙の気持ちと篳篥の気持ちの出会う場所が見えるかな、と思ったけど、

なかなか現実にはそううまくはいかない。

篳篥を吹いているときは

「ここで音を頂戴!」と思うけど、

笙を吹いているときは

篳篥の呼吸のタイミングをみながら「ここで良いですか???」とかなり不安。

何度か「こういうタイミングのとりかたでいいか?」と尋ねたけど、

相手の方が聞いているのは意外と、息の張りのタイミングだったりで、

よくわからない。

自分の吹いた笙で自分が篳篥を吹けばいいのだけど、それは無理だな・・・録音では意味が無いしな。