新企画爆誕か?
過去の経験から、コラボってご提案には身構えます。
そりゃあ、さ、
筝をドレミ調絃にするのは簡単よ。
三絃も洋楽をおっかけるのには筝よりもやりやすいし。
それならピアノで弾けばいいじゃん、って思う。
「おこと」や「しゃみせん」の音を聞いてもらうために、
とか言われても響かなかった。
何より、
弾いているときの自分と楽器の乖離が甚だしくて悲しかった。
かと言って、
「こっちにあわせなさいよ!」
と、こっちのセオリーを異分野にごり押しするつもりはさらさらないので、
コラボには消極的でした。
友人の結婚式で民謡三味線とコラボしたときは楽しかった。
対等にやりあったからね〜。
本番も完璧に近い合奏だった。
さて、
先日いただいたコラボのお話は舞踊とのコラボ。
おそるおそる、その舞踊と相性が良さそうな曲をさぐるっていると、
逆にこっちをとても尊重してくれる様子。
そうなると、
こっちも色々アイデアが浮かぶな〜。
こういうのが創造のプロセスってやつかな。
爪ケース
習いかけにお琴屋さんで購入した爪ケースはとっくにぼろぼろで、
ここ10年くらいはこの中国のお土産を使っていました。
筝の爪×2組と17絃の爪、予備の輪、よく使うホールのコインロッカー用の100円玉が入っています。
もういい加減に替えたいと長いこと思っていたのですが、
これくらいのサイズのかわいい箱がなかなかない。
昨年末にハンズでGIORGIO FEDONというイタリアの会社の小物入れが筆頭候補に。
ちょっと小さいので適当に入れると爪をつぶしそう。
並べたら入りました。
んー、17絃用にもう一個買おうかな。
上巳
母方の祖父母が買ってくれたおひなさんです。
今ははなくなってしまった四条河原町の人形店で、
文字通り、清水の舞台から飛び降りる気持ちで買ってくれたそうです。
「セット」だったのではなくて、
三人官女、右大臣左大臣、五人囃子、泣き上戸笑い上戸怒り上戸、
それぞれに顔を見て選んでくれたそうです。
お道具は母方の祖母のもの。
京都式なので「天子南面」しての左が上座・・・こういう表現でいいかしら?
今日、気づいたのですが、
おひな様の首がすんごい傾いてる。
ちょっと触ってみたけど動かず。
毎年飾ってもらっているけれども、
こんなにおひな様の首が傾いていたかな・・・。
お内裏様の方に傾いているけど、お内裏様は正面を向いている・・・何の符牒だか。
印象づける
先月は高飛び中でしたのでお正月以来、2ヶ月ぶりの1日奏楽でした。
いつもよりも回数が少ないのは直に春のお祭があるから、と推測されていましたよ。
日中は暖かいのでネコのお出まし。
頑張って至近距離で撮らせてくれました・・・我慢してる顔?
もうかれこれ半月、スクールの宿題にかかりきりになっています。
大方、書き上げたものの翻訳が残っていて、
またこれが辛い作業です。
日本語を英語にするのは受験英語ごり押しでなんとかできるものの(「意味が分からないから宿題の翻訳をプロに頼め」とかは言われていいない)、
訳するときに自分が書いたものを読み返すことでもう一回傷がえぐられるぜ・・・。
(英語が得意な人は最初から英語でちゃちゃーっと書いてしまうんだろうな〜。
私がBB史上最強の英語出来ない生徒だろうと思う。)
そこも、
というか、
そこが大事なところなので、
今は痛いけど記憶に残しておいた方が良い気がして、
宿題を書いているときはヤンキーキャンドルのサンプラーに火を灯しています。
種類が多いので宿題ごとに変えることができます。
結構、強烈な香りなので脳に刷り込まれやすいかな、と思いまして。
今のは「Sea Sand」って香り。
宿題の進捗の悪さからもう1個買い足す勢いです。
今迄の宿題はサンプラー1個を焚ききる間に完成していたので、
今回の宿題が自分にとっていかにハードか分かるってもんです。
お楽しみ
午前中に今年初めて(自分は)の結婚式奏楽でした。
準備のときに先日入手したリードを試してみたら1本は本番ですぐに吹ける勢い・・・そういうのはあんまり長持ちしないらしいです、儚い。
すぐに吹けるうえにいい感じで鳴るので調子にのって本番デビュー。
嬉しくてがんがん吹いていたら後半は口が疲れてきて危なかったです。
ここ10日間くらいは仕事以外の時間をDLM(宿題)の英訳作業に費やしていますが、
そろそろ疲れて来たので近所の大型事務用品店に出かけます。
必要な買い物もありましたので。
久しぶりの文房具店で新入り発見。
インデックス機能のついたノート。
海外製の有名なハードカバーノートにもこのタイプはありますが、
いかんせん、紙質があかん・・・。
「紳士なノート」は今回も見送り。
紙質は素晴らしいのですがサイズ感が自分には落ち着かないです。
この新入りさんを購入しました。
ホメオパシー関係の資料作成に使うつもりです。
日本の伝統的音楽には本当に指揮者はいないのか?
「日本の伝統的音楽」
と大風呂敷を広げました・・・その一角を為す「箏曲三絃」と「雅楽」に限ります。
勿論、両方とも古典曲演奏の場合、ね。
指揮者がいない、
というよりかは誰かが指揮者を兼務しているんですよ。
箏曲三絃だと、
大人数での合奏の場合は中心になる演奏者が自ずと決まって、
そういうヒトはずらっと並んだ演奏者の真ん中にいる。
そのヒトの音を聞いて周囲は拍子をあわせる。
ときには曲の始まりをこの人が「・・・ヤ」とかけ声をかけたり軽く楽器をならしたりして知らせる。
他の演奏者はその拍子を読んで演奏を開始する。
雅楽だと、
羯鼓が指揮者ポジションと言われている。
羯鼓がいない場合、
たとえばシンプルな三管仕立ての場合だとその役割は笙が担うと耳にしたことがある。
主旋律を担当するのは主に篳篥だけれども、
最終的に拍子を決めるのは笙である、と。
多くの場合笙は篳篥や龍笛に先んじて次のフレーズに用いる音を鳴らしている。
音量=息をいれる量は1小節(のようなもの)のなかで多少があるので、
その音量の変化から他の管は拍子を感じる・・・はず。
どちらにしても、
誰かその集団の中心になるヒトに注目していて、
そのヒトの動作から次の一手を決断する、その連続。
所謂、西洋音楽の指揮者さんを見ていると、
その動作のなかにリズムを見いだして、
その着地点を演奏者は感じ取って演奏しているのがわかる
・・・文章にするのが難しいな。
ふわっ、って手を上げたら、
それが落ちてくるタイミングを計って音を出す。
誰か中心になるヒトの動きを見て、
その体の動き=呼吸から次のフレーズを編んでいく。
単に役割分担が違うだけで同じことをしてるんだよね。